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山口県の話題
ぐうですぐう(NPO法人)
宇部の障がい者就労支援を行うNPO法人「ぐうですぐう」(宇部市あすとぴあ3、TEL 0836-39-9033)が3月5日、新事業として「ぐうです豆腐」の販売を始めた。
濃厚な味が特徴という「ぐうです豆腐」
島村麻理施設長は新事業について、「2011(平成23)年に施設を立ち上げた時から製造機械があったが、当時は職人がいなかったので事業を実現できずにいた。当施設が運営するカフェがコロナ禍で集客が激減してしまったことを受けて、影響を受けない新しい取り組みを始めた」と話す。
豆腐の製造は、美祢市美東町で1955(昭和30)年から約30年間豆腐店を営んでいたという夫妻の娘に協力を依頼し、構想から約5カ月をかけて商品化にこぎ着けた。豆腐はカフェ「ぐうですCafe&Foods」(同)店頭で販売する。山口宇部経済新聞
映画鑑賞 テスラvsエジソン
ノーベル賞を辞退した二コラ・テスラ
学校では教えてくれない天才二コラ・テスラと交流電流
エジソン(直流電源装置)のライバルのジョージ・ウェスティングハウスで、テスラに100万ドルの研究費と特許使用料として発電機1馬力ごとに1ドルを支払うことを提示して、交流発電と無線送電=無料で手に入るフリーエネルギーを推進します。
これが一気に躍進したのは、コロンブスがアメリカを発見してから400年を記念して1893年にシカゴで開催されたシカゴコロンブス博覧会の会場の電力システムをウェスティングハウス社が構築し、交流が優れていることが一気に世間に広まりました。この勝負は現在の世界の発電と送電の普及状態を見れば明らかで、テスラの勝利でした。それ以外にも自動車のエンジンの点火プラグ、船舶模型の無線操縦、垂直離着陸機など数多くの発明をしています。
1943年にテスラがニューヨークのホテルで死亡した時には重さで数トンにもなる発明品や設計図があったのですが、第二次世界大戦中で、これらの文書がソビエトに渡っては大変ということで、FBIがすべて押収しました。
エジソンとは生涯、仲が悪く、1915年にはエジソンと一緒にノーベル物理学賞候補になりますが受賞せず、再度1930年代にも候補になりますが、これも受賞しませんでした。
さらに1916年には生活に困っているテスラを救おうとアメリカ電気工学協会がエジソン勲章を授与しようとしますが、それも一旦は断って、翌年、ようやく受賞しました。その原因は交流を否定されたことではなく、エジソンが約束を破ったことを許せなかったからだと言われています。
エジソンが直流で作業をしている工場を交流電源で稼働させることができたら5万ドルを支払うと提案したため、テスラは実現させたのですが、エジソンは「あれは冗談だった」と言って支払ってくれなかったので、激怒してエジソンの会社を辞職したのです。そこで翌年の1887年に「テスラ電灯会社」を設立し、交流電源の電気供給の特許を取得しています。
ベネディクト・カンバーバッチ主演の映画『エジソンズ・ゲーム』が、8月7日よりレンタル先行配信される。緊急事態宣言が明け、映画館営業再開後の6月19日に公開中止してから49日後という異例のスピードでの配信となる。
映画『テスラ エジソンが恐れた天才』
彼が生きていれば、世界の電気システムは無料で送電することができた。天才発明家の驚異の頭脳と孤高の魂が今、明かされる──!
1884年、移民としてニューヨークへやってきて、憧れのエジソンのもとで働き始めたテスラだが、直流か交流かで対立し訣別する。独立したテスラは、実業家ウェスティングハウスと手を組み、シカゴ万国博覧会でエジソンを叩きのめす。時代の寵児となったテスラは、大財閥J・P・モルガンの娘アンと交流し、モルガンから莫大な資金を得て、「無線送電」の実現に挑戦する。
予告編
歴史都市伝説
ニコラ・テスラの「世界システム」はよみがえるか
地球を媒介とする送電システムの構築――異能のサイエンティストはときにこうした奇抜なアイデアを思いつき、そして実証しようとします。異端のレッテルをはられた異能のサイエンティスト――発明王エジソンの最大のライバルであったニコラ・テスラもそんな1人に数えられます。
科学の世界に少し詳しい方であれば、テスラが交流システムと高周波(スカラ波)の応用技術で卓越した業績を上げたことをご存じかもしれません。あるいは、磁界における磁束密度を表す単位として彼の名前が使われているのをご存じの方もおられるでしょう。
無線送電システムでエジソンを超えるテスラ
そんなニコラ・テスラが誕生したのは、1856年のこと。現在のクロアチア西部にあるスミリャンという村に生まれたテスラは、幼少のころから異彩を放っていたようです。青年期の記録は諸説ありますが、オーストリアのグラーツにある工科大学に入学、彼はここで、「グラム発電機」という発電機とモーターの両様の機能を持つ直流機械装置を目にし、同時期に「回転磁界」の原理をひらめきます。モーターを駆動する回転磁界を生み出すために、交流を用いることを思いついたテスラは、交流モーター(二相誘導モーター)を完成させます。このモーターを三相以上に発展させ、発電機などの関連技術と合わせて体系化したのがテスラの多相交流システムです。
その後テスラは、交流の実用化を進めようと渡米し、当時すでに著名な存在となっていたエジソンの下で働くようになります。しかし、エジソンは筋金入りの直流信奉者。交流電流による電力事業を提案するテスラの声はエジソンに届かず、テスラは1年ほどでエジソンの下から去ってしまいます。
その後、独自に交流電流による電力事業を推進しようとしていたテスラですが、1888年に入ると、米国電気工学者協会(AIEE)の招きに応じて自身の発明に関する発表を行う機会を得ます。このとき、テスラの発表に強い興味を示したのが、米国の電力供給システムについて当時エジソンとしのぎを削っていたジョージ・ウェスティンハウスでした。
テスラはこの前年に多相交流システムの基本特許を出願していますが、ウェスティングハウスはこれらの特許の権利をテスラから買い取り、その技術を取り入れた交流送電システムでエジソンの直流送電システムと対決していくことになります(電流戦争と呼ばれることもあります)。この電流戦争は、ナイアガラの滝に建設された水力発電所で交流発電機が採用されたことで、ついに決着します。
世界システムの構築へ
交流システムにおけるテスラの役割は極めて重要なものでしたが、彼はその後、研究テーマを高周波の分野に移行させていきます。これは、送電線ではなく、電波によって世界中に情報とエネルギーを供給できないかと考えたためでしょう。すぐさま高周波/高電圧を発生させる共振変圧器「テスラコイル」を開発し、無線電信の研究に没頭していきます。
情報の伝達システムとして高周波を利用するアイデアは一定の成功を収めましたが、無線による電力の送電システムについては苦しむことになりました。無線による電力の送電システムと情報の伝達システムを「世界システム」と名づけたテスラは、1899年からその研究に着手しました。まず、コロラドスプリングスに建設した研究所で、高周波振動の電気的共鳴を利用して、巨大な電圧を発生させる「拡大送信機」を用い、地球が電気を帯びている、つまり「帯電体」であるということを証明します。
これにより、地球を媒介とする送電システムの構築が可能であるとテスラは確信したのでしょう。さらに、この地で頻発する雷放電を観測して、周波数の等しい波が干渉し合い波動がまったく動いていないようにみえる「地球定常波」を発見します。今日ではELF(極超長波)による「シューマン共鳴」として知られている現象ですが、これに電気エネルギーを乗せれば、エネルギーを減衰させることなく地球全体に送ることができるのではないかとテスラは考えたのです。
ワーデンクリフタワー
巨大な無線送電塔「ワーデンクリフタワー」。1917年に撤去されています(画像出典:Wikipedia)
その後、1900年に発表した「人類エネルギー増大の問題」という論文がモルガン財閥の創始者ジョン・ピアポント・モルガンの目に止まり、テスラはモルガンから資金援助を受け、世界システムの実験施設建設に着手します。ロングアイランドのワーデンクリフには情報通信と無線送電を行う巨大な無線送電塔がそびえ立つはずでしたが、建設途中に設計変更が生じたことや、グリエルモ・マルコーニが太平洋横断無線通信に成功し、無線通信の実用化を成し遂げてしまったことなどが影響し、グリエルモ・マルコーニが太平洋横断無線通信に成功せいこうし、実用化を成なし遂とげてしまった事こととにJ/Pモルガンの怒りを買うことになります。無料送電ではお金儲けにならないため、 資金がストップしてしまい、テスラの研究は途絶とだえてしまった。実証的な研究まであと一息というところで、テスラの夢はついえてしまったのです。
その後もテスラは、研究への意欲は失っていなかったようですが、彼の考えを実証する費用や機会には恵まれず、1943年に86歳でこの世を去りました。奇抜とも思える研究内容が世間にはマッドサイエンティストとして受け取られることも多い彼ですが、ニコラ・テスラは常人にはうかがい知れない世界を先行して歩いていた希代の科学者だったのかもしれません。最近ではMIT(マサチューセッツ工科大学)が、電磁共振による無線送電に成功したことが報道されていますが、無線送電の技術が進化していく中で、テスラが夢想した「世界システム」が再び脚光を浴びる日が来るのかもしれません。記事転載
旅の思い出 北海道
羽衣の滝
北海道最大の落差を誇る「羽衣の滝」。無事復活を遂げたこの名瀑を拝みに天人峡を訪れてみませんか?羽衣の滝は旭川市の南東部にある東川町の名瀑。滝の落差は270mで、北海道最大の落差を誇り、7段に分かれて水が流れ落ちます。1991年に日本の滝百選の1つに選ばれました。
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